活動日誌

保育園・待機児童問題について市長に申し入れ

2016年04月14日

日本共産党市会議員団と京都府委員会で、保育園・待機児童問題の申し入れを京都市に行いました。日本共産党京都府委員会から大河原としたかさん、市会議員団から山中団長、加藤議員、河合議員、山本議員、平井議員、やまね議員、ほり議員と一緒に行い、保健福祉局長らが応対しました。

保育は、保護者などの就労や病気療養など、保育に欠ける状況として、必要とされるものです。それだけではなく、保育園は子どもの成長発達を保障するものです。そして、保育園は保護者の子育て応援としても大きな役割を果たしてくれます。私自身3人の子どもを保育園でお世話になり、働き続け続けることができました。同時期に子育てをした仲間は貴重な存在です。
そんな、安心して、子育てができる保障が保育園だと実感していますし、その保育の体制を守り、改善するために議会でも取り組んできました。しかし、安倍政権の元、保育への需要は高くなっているにも関わらず、規制緩和路線で、福祉としての保育は後退し、体制も厳しくなるばかりです。京都市は独自の制度を持って、不十分な国の制度を補ってきましたが、その制度を後退させています。
全国で問題になっているいまこそ、政治を変え、保育、福祉の充実が求められています。
「申し入れ」の全文は、こちらをご覧ください。
http://cpgkyoto.jp/kenkaiseimei/2016/04/post-

こんにちは玉本なるみです。4月①号を発行しました。

2016年04月07日

こんにちは玉本2016年4月10日号

国政報告会「再稼働中止、原発ゼロの日本を」/このままでいいのか!介護保険!/つぶやき: ついに施行『戦争法(安保法制)』/アンテナ:町内会/京都まつり にご参加ください!

こんにちは 玉本なるみです。3月②号を発行しました。

2016年03月25日

こんにちは玉本2016年3月27日号

議会トピックス/バイバイ原発 3・11きょうと/つぶやき:野党共同で戦争法廃止!/アンテナ:年金引き下げ訴訟

こんにちは玉本2016年3月13日号発行しました。

2016年03月10日

 こんにちは玉本2016年3月13日号

まるで、保育園戦争・・・・「保育園の入所決定通知が来た!大学受かった時より嬉しい!」「保育園落ちた日本死ね」/広がる野党共同/つぶやき: 東日本大震災から5年・・・/アンテナ
介護事業所の決断・・・

こんにちは玉本2016年2月28日号を発行しました。

2016年02月28日

こんにちは玉本2016年2月28日号

2月議会がはじまれました。/5野党党首 国政での選挙協力で合意 戦争法(安保法制)廃止!立憲主義の回復! 与党と補完勢力を少数派に!/つぶやき:上賀茂健康友の会のもちつき/アンテナ
び っくりポン!
同級生がテレビに出てる!

こんにちは玉本なるみです。2月①号発行しました。

2016年02月17日

こんにちは玉本2016年2月14日号

危険!安倍首相の改憲発言!/ 京都市長選挙が終わりました。/ つぶやき:参議院選挙は絶対に負けられない!/ アンテナ:手話言語条例案

敬老乗車証を守ろう!署名提出、トータル24312筆!

2016年01月07日

敬老乗車証を守ろうと、運動が粘り強く行われています。7日には署名が2120筆提出され、これまでのトータルで24312筆提出となりました。
提出の際には京都市の担当者と懇談もさせてもらいましたが、いかに敬老乗車証が大切に使われており、これまで通り、できれば今の負担も無しにしてほしいと切実な声が出されました。一回乗るごとの負担は絶対に利用が手控えられる。交付率は上がっても利用率が下がったのではだめだと意見がたくさん出されました。

署名提出後、市役所前で宣伝行動も行われ参加しました。

最後まで調査しました。

2015年12月27日

27日の帰り道は、南相馬市から6号線を南下し、双葉町、富岡町、楢葉町、いわき市と車で走りました。帰り道も、木津川市の宮島市会議員に案内で最後まで調査しました。宮島市会議員は、20回にわたりボランティア活動に来られており、とてもよく知っておられ、勉強になりました。黄色い看板は双葉町の看板です。「この先 帰還困難区域につき通行止め」とあります。

横断幕には「原子力明るい未来のエネルギー」とありましたが、文字は撤去されました。負の遺産として残すべきという運動がありましたが、残念です。

黒い山は除染土を詰め込み積み上げられたものです。富岡町です。一時仮置きですが…。移動の見込みはありません。

福島第1原発調査報告 第3弾

2015年12月26日

26日の午後からは、南相馬市の鹿島区の交流センターで、相馬市の共産党市会議員、新地町の井上議員、南相馬市の渡部寛一議員、荒木議員、生業訴訟原告団長の中島さん、避難者の方との懇談をしました。

復興の様子を伺いましたが、宮城県などに比べて、原発の影響の強い福島は、かなり遅れており、遠い道のりだと…。故郷の町に帰りたいけど、買い物や病院が無いところには帰れない。若い世代はなかなか帰れない。また、高齢者も帰りにくいと、避難解除されて帰れと言われて、支援が打ち切られると困るのが実態です。 

生業訴訟の裁判は4000人の原告団だそうです。行政、国の情報の隠匿性や信頼ができないこと。直後の被ばくと継続被ばくの不安があること。安全だと言ってきたことへの問題など等。ほんとに許せません。
地域住民は心配することに疲れてきていると話されたのが印象に残りました。

夜は牛越仮設の自治会長さん達や南相馬市の市会議員さん達と交流会をしました。
お鍋の準備などは京都の方でしましたが、素敵な看板を作ってくれたのは地元仮設住宅にお住いの方です。右端の写真はボランティアに来られて、永住を決意され支援活動を続けておられる宮前さんです。なかなかできないことです。頭が下がります。

交流では、当然、福井県の高浜原発のことが話題になりました。
「原発を動かすということは、街を失うということを覚悟しなくてはならないということだ」という話に心を打たれました。

再稼働は本当に許せません。避難者の方から安倍首相は家族で来て、1ヶ月だけでも仮設住宅で暮らして欲しいと言われる方もありました。

国民の立場にたつ政治が求められます。大河原さんへの期待の声もたくさん寄せられました。

福島第1原発活動報告 第2弾

2015年12月26日

早朝から京都を出発して、南相馬市牛越え仮設住宅に到着した大河原としたか弁護士と昨晩から舞鶴宮津を出発し夜通し車で駆けつけた京都府北部のメンバーが合流し、避難者の方のお話を聞いたり、現地の調査を行いました。南相馬市小高区は来年1月から、避難解除地域になります。除染が完了しなくてはならないので、あちこちに除染の作業員さんやその車、除染された黒い袋が見られました。昼間に避難地域から家の片付けに帰っておられる方もおられますが、まず、来年1月に1140人、3年を目処に帰られる予定の方が、3400人だそうです。それ以降はわからないとのことでした。地震前には12842人の人口があった地域です。死亡、所在不明者が836人おられます。市会議員の渡部寛一さんに案内をしてもらいました。

途中、巨大な瓦礫の焼却場が建設されてました。隣の相馬市ではすでに、焼却場は役目を終えて解体されているそうですが、原発の被害が大きい南相馬市への対応の遅さを物語っています。

一時仮置きの除染袋は契約の3年を過ぎても中間処分地ができず、置き去りになっています

最近は慰霊碑が、所々に建てられ出しているそうです。亡くなられた方の名前が刻まれており、同じ名字の女性26歳と0歳の男の子の名前がありました。きっと親子なんだろうな〜と思い、涙がこみ上げてきました。

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