福島第1原発調査報告 第3弾

2015年12月26日

26日の午後からは、南相馬市の鹿島区の交流センターで、相馬市の共産党市会議員、新地町の井上議員、南相馬市の渡部寛一議員、荒木議員、生業訴訟原告団長の中島さん、避難者の方との懇談をしました。

復興の様子を伺いましたが、宮城県などに比べて、原発の影響の強い福島は、かなり遅れており、遠い道のりだと…。故郷の町に帰りたいけど、買い物や病院が無いところには帰れない。若い世代はなかなか帰れない。また、高齢者も帰りにくいと、避難解除されて帰れと言われて、支援が打ち切られると困るのが実態です。 

生業訴訟の裁判は4000人の原告団だそうです。行政、国の情報の隠匿性や信頼ができないこと。直後の被ばくと継続被ばくの不安があること。安全だと言ってきたことへの問題など等。ほんとに許せません。
地域住民は心配することに疲れてきていると話されたのが印象に残りました。

夜は牛越仮設の自治会長さん達や南相馬市の市会議員さん達と交流会をしました。
お鍋の準備などは京都の方でしましたが、素敵な看板を作ってくれたのは地元仮設住宅にお住いの方です。右端の写真はボランティアに来られて、永住を決意され支援活動を続けておられる宮前さんです。なかなかできないことです。頭が下がります。

交流では、当然、福井県の高浜原発のことが話題になりました。
「原発を動かすということは、街を失うということを覚悟しなくてはならないということだ」という話に心を打たれました。

再稼働は本当に許せません。避難者の方から安倍首相は家族で来て、1ヶ月だけでも仮設住宅で暮らして欲しいと言われる方もありました。

国民の立場にたつ政治が求められます。大河原さんへの期待の声もたくさん寄せられました。

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