2013年01月17日
阪神淡路大震災の時は、綾部にいました。今年4月に18歳になる息子がお腹にいたので、息子の成長と阪神淡路大震災の復興は同じ年月なので、忘れることなく、印象に残っています。当時、民医連の病院で勤務していましたので、全国の民医連の医療機関から被災地支援に入りました。本来ならば、真っ先に志願して行くところですが、妊娠している身としては、かえって迷惑をかけるだけなので、現場に残って上司の婦長さんを送り出しました。
綾部でも揺れは半端なくありましたが、目立った被害はありませんでした。テレビでの報道にただただ涙しながら震えていました。
そして、東日本大震災が起き、もうすぐ2年が来ようとしています。2年前はいてもたってもおられず、一斉地方選挙の後半戦が終わってすぐのゴールデンウィークを活用し、福島、宮城へと知り合いを頼って、一人向かいました。夏には日本共産党のボランティア隊として福島県南相馬市、新地町に行きましたが、昨年は行けませんでしたので、今年はぜひ、行きたらいいなと思っています。
12日に 放映されたNHKの「空白の初期被ばく~消えたヨウ素131を追う~」を見て、背筋が凍る思いがしました。ネット上では様々な意見が飛んでいるようですが、ヨウ素131が周辺地域に拡散した可能性がある以上、政府も対応を取るべきです。少なくとも、津波の被害を受けずにいた固定式放射能測定所でのデーターと当時の風向きや天候を考慮した分析はすべきです。福島県だけではなく、ヨウ素被爆を受けた可能性のある子どもたちの健康管理をしっかりと実施する必要があると思います。