実績・政策

行動力抜群/被災地にも駆けつけて

3・11東日本大震災は、原発の大事故もおこし、日本の政治が大きく問われることになりました。私はいてもたってもおられず、1 人現地に駆けつけ、この目に被災地の実態を焼き付けました。

その後もボランティア活動に参加し、原発ストップの運動に力を入れています。

被災地を訪ねて(1)

2011年4月30日、夜行バスで京都駅を出発し、東京でいわき市行きのバスに乗り換え、被災地福島県いわき市に行ってきました。

学生時代の先輩で、日本共産党の県会議員をされていた長谷部敦さんと訪問活動をさせていただきました。

海岸沿い近くにお住まいの方の場合、危機一髪で津波から逃れた方や、家が土台しか残らなかった方、ギリギリ玄関前まで波が来て助かったという方など様々でした。

被災地を訪ねて(2)

宮城県坂元中学校の避難所では、畳一畳分のスペースで寝泊まりされていました。

ご主人を亡くされたという(写真①中央)ご婦人は「早く仮設住宅に入りたい」と要望されました。

仮設住宅に最近引っ越された方を訪問(写真②)。避難所と違って食事の配給がなく、困っておられました。

写真①) 避難所・坂元中学校体育館にて─ご自身も津波に流されて一晩中、屋根の上ですごしたとのこと
写真②) 仮設住宅前で明るく話される方でしたが、妹さんは行方不明とのこと

被災地でボランティア

涙ながらに被災の状況を話す方も

2011年7月16日、南相馬市の被災地支援で鹿島区の仮設住宅を訪問、集会所で健康相談にのり、支援物資をお届けしました。

私は、洛北診療所の看護師さんといっしょに血圧測定、お困りのことはないかおたずねしました。測った方のほとんどが、血圧が高く驚きました。やはり、疲れやストレスによるものが大きいと思います。早く、心を落ち着かせてあげたいと思いました。

広がる「脱原発」の運動に参加して

ボーカルの方が「みんな投票に行ってくれ!」と叫んだのも新鮮でした。

東日本大震災後、原発の危険性が明らかになり何かできることはないかと、多くの方が考えたと思います。私は、映画「チェルノブイリ・ハート」の上映実行委員会に参加しました。

第2弾として、総選挙投票日直前の2012年12月11日、脱原発ソングを歌うグループ「フライング・ダッチマン」のライブに参加しました。ライブ実行委員会と佛教大学9条の会の共催で、佛教大学も後援して、大学内のホールで開催。「脱原発」への思いをまっすぐに歌っていただき感動しました。

デモ行進は楽しく参加を

楽器やプラカードで、楽しくアピールしました。

大飯原発の運転差し止めと損害賠償を求める「大飯原発差し止め訴訟」が京都地裁に提訴されました。1107人の原告団による結成総会に先立ち、関西電力京都支社前をデモ行進しました。私はパーランク(沖縄の打楽器)をもって参加。鳴り物があるとにぎやかで楽しかったです。

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