2010年03月19日(金)
保健所機構改革条例と市立看護短大廃止条例に反対する討論
No.16
日本共産党市会議員団は、議第44号保健所条例の一部を改正する条例の制定について及び議第47号市立看護短期大学条例を廃止する条例の制定について反対の態度を表明していますので、議員団を代表し、その理由を述べます。
まず、議第44号保健所条例の一部改正における保健所の機構改革についてです。
保健所は市民の生命と健康を守る上で、もっとも基礎的な公衆衛生施策の拠点であり、京都市においても重要な役割を果たしてきました。昨年の新型インフルエンザの感染が広がった際には、市民の相談窓口や情報発信の役割として、その重要性を多くの市民が実感したところです。今回の機構改革は重大な問題があります。以下反対する理由を述べます。
第1の理由は、今回の機構改革に対して、「何も変わらない」という説明に何の保障もないということです。
まず、保健所が支所化することの重大性です。支所化することにより、支所長(センター長)は原則医師と繰り返し説明していますが、すでに委員会での質疑でも明らかになっている通り、出発時点から医師の確保が困難で、原則は崩れるということです。保健所は公的な責任を持って、地域の医療機関などと連携し市民の命を守る役割を担っています。たくさんの専門職集団のリーダーには権限ある立場の医師のリーダーシップが不可欠です。それを事実上医師の配置ができないにもかかわらず何も変わらない等という説明は成り立ちません。
行政区の保健所を支所にした上に、その支所から公害業務を引き上げることも、極めて重大です。相談したくても、京都市に2箇所しかつくらない環境共生センターまで足を運ばなくてはならないというのでは市民サービスの大きな後退です。さらに、内部では衛生業務の統合化も検討しているという状況もあるのに、それを隠しての提案は大問題です。
反対する第2の理由は、保健所機能が後退するという点です。
健康危機事案等による営業停止処分、措置命令等の事項については保健センターの業務から除くとされています。地域で発生した様々な事象や要求に対して、迅速に対応することが求められているのに、一々本庁保健所にお伺いを立てなくては動けないということになるのは明らかに後退です。全市統一した対応が必要とされる事案が起こった場合でも、保健所の一元化による指揮命令系統の一本化で解決するのではなく、医師である各保健所長による合意作りや、ルールづくりなどを図ることによって解決されるべきです。
今後、独居を含む高齢世帯の増加、様々な社会的要因を背景にした子育て環境の悪化による母子保健上の諸問題、自殺にもつながる精神疾患の増加、施設入所から在宅へと誘導される精神科医療政策の対応、食の安全の揺らぎ、新興感染症の対応等、市民の健康を守る上で阻害要因の増加が指摘され、保健衛生上、これまで以上にいっそうきめ細やかな施策が必要となってきます。
そもそも、保健所の機構改革を提案するにあたって、保健所の今後の在り方や公衆衛生行政将来のグランドビジョンも策定せずに提案しているのは、乱暴なやり方です。
第3の理由は、京都府医師会をはじめ、地区医師会、保健所運営協議会、そして、市民や私たち議員に対しても、2月10日の議会告示日に示し、十分な理解を得ることもなく、4月1日から実施しようとする拙速なやり方の問題です。
医師会の先生方からも、支所化することによる保健所機能の低下を懸念するご意見や拙速な京都市のやり方について、たくさんのご意見が寄せられています。これまで京都市の地域保健にご協力いただいている医師会や関係者の努力を踏みにじるものです。それでも、強引にすすめようとするならば、今後の保健衛生行政に大きな禍根を残すことになります。
さらに、問題は保健所で勤める職員自身も納得のいく議論を経て、提案されたのではなく、保健所所長でさえも、決定事項として1月13日に報告を受けたという状況だったということです。現地現場主義とは到底言えないやり方です。
以上述べてきました通り、問題を多く抱えての4月実施はあまりにも無謀であり、今回提案の機構改革は白紙に戻し、関係者との議論を深め、今後の保健所機能充実のあり方を検討するよう求めます。
次に議第47号市立看護短期大学条例を廃止する条例について述べます。
反対する第一の理由は市長と佛教大学理事長のトップ会談で決定し、歴史ある市立看護短大の廃止を現場に押し付けてきたことです。4年制化と称して佛教大学に丸投げするやり方は大問題です。
関係者にとっては、京都市立での4年制化の発展を待ちに待っていただけに、突然の廃止の提案は大変なショックでした。
平成20年5月に予算化されていた「京都市立看護短期大学将来構想策定」がまとめられる前に、市民への意見募集も実施せず、議会にも報告がないまま、市長がH21年3月25日に記者発表されたことは大問題です。その後も同窓会の皆さんを中心に集められた市立看護短大の廃止の撤回を求める署名は 17000筆を超えて提出されていますが、この切実な声にも耳を傾けず、同窓会や学生、保護者等への説明会においても「反対意見が多くあったらどうするのか」という意見に、「説明するのみ」の一点張りの対応でした。
さらに教授会の議事録も読みましたが、あり方の議論はほとんどされておらず、決定事項として現場におろし進めてきたことがよくわかりました。ここでも、現地現場主義はまったくない状況は明らかです。
反対の第2の理由は、全国的な看護師不足の状況下において、看護師養成という公的な責任を放棄することです。厳しい財政状況であっても、人の命に関わる必要な予算として、何としても確保するのが市長の責任です。それを私立で4年制大学ができるから、競争を避けるためにやめるという考えはまちがっています。確かに看護教育にはたくさんの費用が必要です。私立でも苦労されている点です。したがって私立を応援することは必要なことです。しかし、だからといって、市立をやめる必要はまったくなく、看護師養成の公的な立場を堅持し頑張るべきです。「私立だと看護の道をあきらめざるを得なかった」という学生や保護者の切実な声に耳を傾けるべきです。
市立看護短大の歴史と伝統は佛教大学に看護教員が勤務することで受け継がれるという説明の根拠も崩れていることが明らかになってきています。2月 13日に佛教大学医療技術学部が開催されたシンポジウムでは看護学科を新設する二条キャンパスのあり方が主題であったのに、市立看護短大の話はまったくでなかったというではありませんか。佛大は佛大の建学精神で行うとはっきり話されています。市立看護短大の歴史と伝統を受け継ぐものではないということです。
市立看護短期大学は創設後60年の歴史をもつ大学として、多くの看護専門職を輩出し、卒業生が京都をはじめ国内外で活躍しています。そのことは大きな誇りです。市立看護短期大学の廃止提案は撤回し、市立看護大学としての4年制の実現に向けて、現場の看護教職員を中心に検討をすすめることを求め討論とします。